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福岡地方裁判所飯塚支部 昭和34年(タ)2号 判決

原告 狩野トキ

被告 狩野数馬

主文

原告と被告とを離婚する。

原告と被告間の長男清剛(昭和二十四年七月十九日生)及び次男一人(昭和二十六年七月九日生)の親権者を被告、原告の実子であつて被告の養子である清治(昭和二十二年九月十四日生)の親権者を原告と各定める。

被告は原告に対し金五万円を支払わなければならない。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分しその二を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

事実

原告は(一)主文第一項同旨並びに(二)被告は原告に対し金三十万円を支払わなければならないとの判決を求め、その請求の原因として、

「原告は昭和二十四年三月十一日に被告と正式に婚姻したが、被告は婚姻当時福岡県嘉穂郡桂川町所在原口鉱業所の一鉱夫として働いていた者であり、昭和二十六年四月頃転勤して同郡穂波町平恒前記鉱業所平恒炭鉱に移り、同鉱業所の下請掘さらには同鉱業所直轄の水洗炭業を経営して現在に及んでいる。

ところで原告は被告と婚姻するに当つて前夫との間に出生した清治(当時生後六ケ月)を連れ子として被告と同棲したが、その後被告との間に清剛、一人の二名の男子を儲け、育児と家政に専心しながら被告に尽していたところ、昭和二十八年一月頃流産して以来次第に身体の衰弱を来たし健康にすぐれず、静養に努めていた。しかるに被告は昭和三十二年十月十六日から十日間胃病の治療のため大分県湯平温泉に湯治に出かけ帰宅した後、にわかに原被告の婚姻の媒酌人であつた訴外清水満と原告の実兄である訴外末永実に対し原告が身体虚弱であることを理由に別れ話を持ち出し、原告に対しても家を出て右末永方へ帰るよう強要したが原告としては特段の理由が見当らぬのでこれを拒絶したところ、被告は『お前が出て行かぬのなら俺が出る』等と暴言を吐き、飲酒して暴れる上タクシーを呼んで無理矢理に原告を追い出そうとするため、原告は不本意ながら傷害沙汰になることを慮つてやむなく家を出て前記末永方に身を寄せた。原告は同年十一月十五日から同年十二月五日頃まで飯塚病院婦人科に入院して療養に努めたが被告は理不尽にも原告の入院中に一方的に離婚届を作成して原告に捺印方を迫つたりしたので、原告としては被告の態度が不可解であるので実情を調査したところ、はからずも被告は、原告が家を出た後に同年十一月二十五日他の女性を家に引張りこんで事実上の夫婦として同棲していることが判明した。のみならず被告は右女性と夫婦生活をするためには原告の連れ子清治がいては邪魔になると考えたものか原告が前記病院に入院中右清治を家から出して前記の訴外末永実方へやり、また同月十二日午後五時頃原告所有の布団、衣類等を一方的に原告のもとへ送り届けてきた。爾来原告と被告は別居生活を続け、被告は前記女性と同棲生活をして現在に到つている。以上の次第であつて、これを要するに原告には被告との婚姻を継続し難い重大な事由がある。

また被告は前記水洗炭業を経営して一ケ月に金二十万円乃至三十万円の収入を得てをり相当の資産を有する筈であつて、一介の鉱夫であつた被告が右のような盛大な事業を経営するまでになつたのは原告の協力によるところが多大であるから金十五万円の財産を原告に分与するのが相当である。

さらに原告は八年有余にわたつて被告と連れ添い、妻として被告に尽したのにも拘らず被告は原告に何ら落度がないのに暴行を加えかねまじき気勢を示して原告を脅迫し、無理矢理に原告を家から追い出し、それのみではなく他の女性と同棲する等前記の如き不人情きわまる態度に出たのであつて、人生の半ばを過ぎた今日被告のため婚姻を継続し難い状態に立至らしめられた原告の精神的苦痛は甚大であつて、これに対する慰藉料として被告は原告に対し金十五万円を支払う義務がある。

よつて原告は被告との離婚を求めると共に、被告に対して財産分与として金十五万円、慰藉料として金十五万円、以上合計金三十万円の支払を求めるため本訴に及ぶ」と述べた。〈証拠省略〉

被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として

「原告主張の事実中、被告が原告主張の時期に原告と婚姻したこと、原告には連れ子である訴外清治があり、被告と原告との間に清剛、一人の二児が出生したこと、昭和二十五年四月頃に平恒炭鉱に勤務し、後に平恒炭鉱直営の水洗場の下請となりこれに専従するようになつたこと、原告主張の頃、湯平温泉に湯治に出かけ帰宅した後、原告と別れる決心をし、原告及び訴外清水満、同末永実らと話し合いの上、原告は拒絶したが結局原告が家を出て右末永方に赴いたこと、被告がその後原告に対し、その所有の家具、指輪を送り届けたことは認めるがその余の事実は争う。

被告は昭和二十三年三月頃先妻ユキ子と死別した後友人であつた訴外清水満夫妻の仲介で原告を知り、原告の強い希望と右清水らの熱心なすすめにより同年五月頃結婚して事実上の夫婦となつたのであつて、その際原告の連れ子であつた訴外清治もひきとつて養育することとし、かつ原告が健康であつて家庭内を清潔にすること、被告と先妻との間の二人の子(俊剛、梅子)に対しやさしい母となること等を約束させた。しかるに原告は健康ではなくすでに昭和二十三年七月頃一ケ月間にわたり健康がすぐれないといつて就床し、心配した被告の勧めにも拘らず医師の診断も受けず、薬を服用しようとしなかつたが、その後も気の向かないときは理由もなく勝手に就床し、同年暮にも十二月二日から二十八日頃まで就床し、結婚当時の約旨に反して原告は怠惰であつて家事は殆ど被告の長女である訴外梅子にやらせ自らは何もせず、そのため前記俊剛、梅子と感情的に対立して家庭内も面白くなく、訴外末永実らにも苦情を云つたこともあつたが、昭和二十四年以降原告との間に清剛、一人の二男子が相次いで出生した後も原告の態度に変りはなく、被告は原告との結婚が失敗であつたことを痛切に感じ、原告に対する愛情も消失し悶々の日を送つていたが、原告は単に怠惰であつて家事に専心しないのみでなく訴外俊剛、梅子の二児に対しても冷い母であり、昭和三十年の暮頃右俊剛が肺結核を患つて入院した際にも原告は一回も右俊剛を見舞つてやらなかつた。また昭和三十一年一月五日に被告が坑内現場で負傷した際も原告は家に寝そべつたままで一切被告の世話をしようとせず、そのため被告は近隣の人に対しても恥かしい思いをしなければならないこともあつた。そのため我慢できなくなつた被告は同年暮頃訴外末永実、同清水満を自宅に呼んで原告の態度を話して離婚の話を持ち出したのであるが、原告や右末永、清水らが謝罪し哀願するので、その場は一応おさまり別れ話もそのままになつていたところ、昭和三十二年十月十五日から大分県湯平温泉で湯治中、被告の勤務していた前記炭鉱で坑内事故があつたがその際にも原告は寝ているばかりで皆に加勢して負傷者の世話をしようともせず、そのため被告は肩身のせまい思いをすることを余儀なくされた上、被告が前記湯治から帰宅して原告に対し『留守中大変だつたな』と声をかけても寝たまま返事をしないという態度を示したので、被告としてはもはやこれ以上我慢することはできず、原告と別れる決心を固め、訴外末永実、同清水満立会の上で協議したところ、原告は家を出ることを拒否したが被告が『お前が出ぬなら俺が出て行く』と申向けたところ、漸く納得して別れ話がまとまり、原告は右末永方に身を寄せることになり、被告宅を出たのである。

以上のような次第であつて原告の主張は不当であるが、殊に財産分与の請求については、被告の事業も昭和三十三年頃から炭界不況のために不振となり遂に廃業するのやむなきに至つてをり、到底分与の対象となる財産はなく、また被告が前記事業を営むようになつたのも旧友である原口鉱業の社長の恩誼によるものであつて原告の協力によるものではない。さらに慰藉料の点についていえば原告は前記のように子供に対しては冷酷であり、家政についても怠惰であつて理由もなく就床し、殆ど他人まかせであつたため被告としては困却し切つていたのである。しかも原告は結婚当初健康体であると被告をいつわつて被告と婚姻したのであつてこれらの事情からしてむしろ被告において原告に対し慰藉料の請求を考慮せざるを得ない次第であり、到底原告の慰藉料の請求には応じられない」と述べた。〈証拠省略〉

理由

一、その方式及び趣旨により真正な公文書と認められる甲第一号証(戸籍謄本)、証人清水満の証言並びに原告本人尋問の結果を綜合すると、原告と被告とは昭和二十三年四月頃結婚式をあげ、夫婦生活に入り、昭和二十四年三月十一日届出をして正式に婚姻したこと、原告には前夫との間に生れた男子訴外清治(昭和二十二年九月十四日生)があり、これを連れ子して被告と結婚した後被告と右清治とが養子縁組をしたこと、被告にも婚姻当時訴外梅子(実子)、俊剛(養子)の二子があり、その後原告との間に長男清剛(昭和二十四年七月十九日生)、次男一人(昭和二十六年七月九日生)の二児を儲けたことが認められる。

二、そこで先づ原告主張の離婚原因の存否について考えるのに、前掲各証拠のほか証人末永実、林昇、原田義助の各証言並びに被告本人尋問の結果を綜合すれば次の事実を認めることができる(右各証人及び本人の供述中この認定と相容れない部分は措信し難い)。すなわち、被告は昭和十五年頃訴外原口鉱業株式会社に入社し原告と結婚した当時は福岡県嘉穂郡桂川町土師において掘進等の下請負をして働いていた者であり、一方原告は大阪市において森某と結婚し二児を儲けていたが離婚して実兄である訴外末永実のもとに身を寄せ、昭和二十二年九月十四日に右森との間に懐胎した前記清治を出産した。原告と被告は縁あつて訴外清水満の媒妁で婚姻し、昭和二十六年頃同郡穂波町平恒所在の訴外原口鉱業株式会社平恒炭鉱に移り、被告は同所で右会社から新抗の開発を請負い、翌昭和二十七年中まで右の仕事に従事し、その後同会社より租鉱権を得て自ら炭坑の経営を行い約二年間右事業をつづけ、一時は二十四、五名の鉱夫を使用するまでになつていたが、不況のため、昭和三十年初め頃に水洗炭業に転向した。その間原告は被告との間に前記のように清剛、一人の二児を儲け、また生活に困窮することもなくむしろ右会社よ租鉱権を得て自ら石炭採掘事業を行つていた時期、ことに水洗炭業を経営した昭和三十二年頃はかなり経営成績がよく収入も多額で自動三輪車やスクーターを所有し、相当数の人夫も使用していた。ところで原告は結婚当初特に身体強健というわけではなかつたが普通の健康体であり持病というほどのものもなかつたが多少怠惰な点のあつたことが窺われ、これに対しどちらかといえば親分肌のところがあるが、きれい好きでもあつた被告とかならずしも性格が一致しないところがあり、原告が訴外一人を出産した後に再び妊娠したが流産に終りその後健康にすぐれず、家事は被告の長女である前記梅子にまかせたまま寝たり起きたりの生活が続くようになつてから被告と原告との間に漸く確執が激しくなり、被告は原告の生活態度に面白からぬ気持をいだき、原告に対する夫婦の情愛もうすれ、被告から原告あるいは訴外末永実並びに同清水満に対し不服が述べられることも屡々であつた。ことに昭和三十一年十二月頃には被告から右末永、清水らに対し別れ話が持ち出されたこともあつたが、右末永らのとりなしでそのままになつたことがあつた。原告は身体の調子がよいときは被告の事業に加勢するように努め、昭和三十二年五、六月中も水洗炭事業の手伝をしたのであるが、その疲労からか再び床に就くようになり被告の原告に対する不満の念はますます募り、夫婦の間には冷い感情が流れた。同年十月十五日から十日間被告は胃病の治療のため大分県湯平温泉に滞在したがその留守中前記炭鉱に事故があり、その際原告が寝たままで負傷者の世話等をしなかつたことから被告は原告と別居する決心を固め、同年十一月十一日被告方に前記末永、清水らを呼び寄せて協議し、原告が常時病臥していることを理由に別れ話を持ち出したが、原告としては右理由では納得ができないとして別居を拒絶したところ、被告は立腹して原告らに対し「お前がこの家を出て行かんなら俺が出て行く、家等うちこわしてしまう」等と暴言を吐き、ヨキを振廻して暴れたため、身の危険を感じた原告は不本意ながら同日午後十二時頃家を出て訴外末永方に身を寄せ、二、三日後には同県飯塚市所在飯塚病院に入院し子宮内膜の疾病のため治療を受けたが、被告は右入院費用約金七千円を支払わず、原告の実兄である右末永が立替え支払つた。その間に被告は自動三輪車で原告所有の家財道具一切を原告のもとに送り届けた上、訴外林昇を使者として末永方に離婚届書を持参させて、原告の捺印を強要したが、原告が入院中のため、そのままになつてしまつた。のみならず被告は原告を家から出した後一ケ月余を経た同年十二月十五日頃別府で湯治中に知つた溝口某女を被告方に入れて爾来事実上の夫婦生活を営み、昭和三十三年一月頃原告が被告方に赴いた際にも原告を追い帰えし、その後原被告間には殆ど交渉なく別居生活をつづけ、そのため原告から被告を相手どつて福岡家庭裁判所飯塚支部に調停の申立がなされたが結局不調に終つたものである。

以上の事実に基いて考えてみるのに、今日においては原告だけでなく、被告の側においても原告に対する愛情を失い、相互に夫婦として共同生活をする意思のないことが認められるが、原告と被告とがこのように別居して今日の破綻を来したことについては原告が流産以後健康を害して病臥しがちであり、そのため家政のきりもりも十分でなく、夫である被告を助けて事業を営んでゆくことなど不可能であり、また多少原告に怠惰な点もあつて努力の足りなかつたことが窺われ、そのため事業家肌の被告の不満を買つたことが察せられるのであるが、被告の側においては、複雑な家庭の中にあつて健康を害し病気がちである妻に対する同情心に乏しく、いたずらに不満をぶちまけるのみで原告をいたわり、相倚り相扶けて健康の恢復をはかり夫婦生活を完成しようという気持がなく、単に自分の理想とする妻ではなく、かつ病身であるということのみを理由に、拒絶し且つ謝罪する原告に対し暴力をふるいかねない気勢を示して無理矢理に家を追い出したのみでなくその後僅々一ケ月余を経たにすぎない時期にすでに他の女性を自宅に入れて同棲し原告を無視して事実上の夫婦生活を営んでいるのであつて、別居している妻に対し生活費を送るのでもなく、また原告が被告との結婚生活に望みをすてずに被告方をおとずれた際もこれを寄せつけず追い帰す等の所業に出で、そのため原告もまた被告に対する夫婦の愛情を失い、婚姻を継続する意思を失つてしまつてもはや回復すべくもない状態に立至つたものと断ぜざるを得ない。本件婚姻の破綻は主として被告の責に帰すべき事情に基因するものであり、しかもかかる事情にある夫婦をいつまでも結びつけておくことは不合理であつて、結局原告と被告との間には婚姻を継続し難い重大な事由があるといわなければならない。よつて原告の離婚の請求は理由のあるものとして認容すべきである。

三、前記認定の事情の外に、原告と被告との間に出生した清剛、一人の両児は被告の許にあつて養育され、被告もまた同人らを扶養してゆく意思を有していること、原告もそれを望んでいることは原被告各本人尋問の結果より認められるところである。このような事情の下においては右の清剛及び一人の親権者を被告と定めるのが相当である。

次に問題となるのは訴外清治の親権者の指定である。一般に本件の場合のように実母が他の男性と再婚した後に、子と実母の配偶者とが養子縁組をした場合においては子は養親の単独親権に服するのではなく民法第八百十八条第三項の規定により実親と養親とが共同して親権を行うものと解すべきところ、その養親と実親とが離婚する場合の親権者については問題があり説のわかれる点であるが、夫婦親子の現実の共同生活に立脚して考察すれば、実親の配偶者と子とが養子縁組をするのは、実親の配偶者との間にも法定の親子関係を発生させて婚姻関係にある実親並びにその配偶者との双方との間に名実ともに夫婦親子の生活共同体をつくりあげるのが人情に合し、子の利益の保護にもなるという意図に出たものであり、この実情を背景に民法第八百十八条第二項の適用を排して、同条第三項の父母婚姻中とあるのは実親と養親との婚姻中をも包含するものとし、子は両者の共同親権に服するものと解釈すべきであるから、その実親と養親とが離婚する場合においては実親間あるいは養親間の離婚の場合と同様に民法第八百十九条第一項あるいは同条第二項の適用があるものと解するのが首尾一貫するし、また離婚後も実親と未成年養子が親子として共同生活を持続する場合が多いと思われる点から自然の人情にも反しない。以上の次第であつて裁判離婚の場合においては裁判所が職権をもつて養子の親権者を指定すべきものといわなければならない。而して本件の場合前認定の諸事情並びに原告本人尋問の結果によつて認められる原告と被告とが別居生活に入つた後原告の入院中に被告が右清治を訴外末永方にやり、以後原告と清治とは一緒に生活している事実を綜合すれば右清治の親権者として原告を指定するのが相当である。

四、次に財産分与並びに慰藉料の請求について判断する。

先づ被告に慰藉料支払の義務があるかどうかについて考えるのに、被告は無理矢理に原告を別居せしめ、更には原告を無視して他の女性と同棲し、原告をして被告との婚姻を継続し難い状態に立至らしめたものであることは、すでに認定した通りであつて原告がそのため甚大な精神的苦痛を蒙つたことは容易に推認できるところであるから、被告は原告に対し、相当額の慰藉料を支払うべき義務のあることはいうまでもない。

そこで右慰藉料の額と、被告より原告に対し財産を分与させるべきかどうか並びにその額及び方法の点につき考えるのに、原告は被告と婚姻して以来約九年間にわたり夫婦生活をしてきたこと並びに離婚を決意するに至るまでの事情等は前認定のとおりであり、また原告本人の供述並びに前掲甲第一号証によると、原告は四年余に及ぶ別居期間中被告から何ら経済的援助を受けたことはなく、当初の頃は病院の付添婦をして生活していたが健康がすぐれないため現在は生活保護をうけて生活していること、年令はすでに四十六才であつて何ら資産も収入を得べき職もなく、その年令・経歴に徴して今後有利な職業につき、あるいは再婚することは殆んど望まれないこと、未成年者である子供をかかえて離婚しても将来希望のない生活を継続してゆかなければならないことが窺われ、他方被告については原被告各本人尋問の結果によると、現在被告は水洗炭業をやめ、収入も殆どなく生活保護を受けていること、水洗炭業を経営していた頃の相当多額の負債があること被告の現住家屋は木造便利瓦葺平家建一棟(八畳、四畳半及び三畳の三間がある。)であつて被告の所有にかかるものであるが、右家屋は訴外原口鉱業株式会社より古材料を貰い受けて建てたものであつて敷地は被告のものでないこと、昭和三十六年中に右敷地が国に買いあげられることになつていること等が認められる。以上諸般の事情を綜合すれば被告が原告に対し支払うべき慰藉料の額は金三万円とし、また被告から原告に対し、財産分与として金二万円を一時に支払わしめるのが相当である。

よつて原告の本訴請求は主文第一、三項掲記の限度において理由のあるものとしてこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却すべく、なお未成年者の親権者については、職権をもつて主文第二項の通り定めることとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 川淵幸雄 岩隈政照 松永剛)

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